コロナ禍にみる支援のカタチ

新型コロナウイルス感染症の影響で、危機的な状況に陥っている業種は少なくない。その中で、懸命に生き残りをかけて取り組んでいる方々には頭が下がる思いだ。

この厳しい現状を乗り越えるため、クラウドファンディングに取り組む事業者が急増している。一方で、助けを求める事業者が多く、思うような成果をあげることは決して容易ではない。

まず立ち止まって考えてみたいのが、支援する側はいったい何を支援したいのか、ということだ。

たとえば、ある店舗が営業することが難しかったり、売上げが激減して助けを求めているとする。「あのお店は気に入っていたし、なくなると困るから応援しよう」と支援する。現在よくみられる流れだ。

ただ、よく考えると、リアルなお店というのは、物理的な空間、つまり“ハード”と、そこでサービスを提供する人である“ソフト”の両方で成り立っている。

では、ハードとソフトのどちらを支援するべきなのだろうか。

答えは簡単に分かる。あなたが、Aさんのお店を気に入っていたとしよう。しかし、閉店せざるをえなくなった。Bさんがそのお店を継いでもその店に通い続けるだろうか。それとも別の場所で開店したAさんの新しいお店に行くだろうか。よほど不便な場所でもなければ、後者を選ぶのではないだろうか。

つまり、お店を支援するといっても、実際はそのお店をやっている人を我々は支援するのであって、歴史的な価値を持つ建築物など一部の例外を除き箱、ハード自体にはそれほど価値はないのである。

だからこそ思うのは、箱自体を残すのではなく、状況が整った時に、お店を再開できるチャンスがその人に残っていることにこそ、価値があるということだ。もちろんいったん撤退するといっても、原状回復などお金がかかるだろうし、何よりも思い出の多い場所を手放す口惜しさもあるだろう。

しかし、無理をして箱を維持し続け、借金を膨らませてその人が再起不能になることこそがもったいない。なぜなら私たちが支持し、応援したいのは、まさに人に対してだからである。